博多弁辞典 > おすすめ書籍
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| ■日本語関係のおすすめ書籍 + 日本ふるさとことば集成 + 日本の方言 + 日本の方言地図 + 江戸語・東京語・標準語 + 日本語 + 日本語と外国語 + 日本語はおもしろい + 日本語の変遷 + 漢字と日本人 + 翻訳語成立事情 + 蝸牛考 + 国語改革を批判する + 私の國語敎室 + 日本語観察ノート + 日本語の美 + 日本語の論理 + 国語学原論 + 国語学原論 続編 |
| ■福岡・博多関係のおすすめ書籍 △ | |||||
| 博多歴史散歩―二千年のあゆみ(白石 一郎著/創元社)
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| アクロス福岡文化誌3 古代の福岡(アクロス福岡文化誌編纂委員会/海鳥社/2009)
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| 福岡県のことば(明治書院) 福岡の方言を体系的に書いてあるので、興味のある方は読んでください。
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| 博多ことば(江頭光/葦書房) 博多弁の単語集です。 | ||||
| 博多学(岩中祥史著/新潮文庫) こんな見方もあるのかと、目から鱗が落ちました。 | ||||
| 博多―町人が育てた国際都市(武野要子/岩波新書)
古地図の中の福岡・博多(福岡アーカイブ研究会編集/海鳥社) |
クイズまるごと福岡(ふくおかクイズ倶楽部/メイツ出版) | | ||
| ■日本語関係のおすすめ書籍 △ | |||||||||||||||||||||||||||||||||
| 日本ふるさとことば集成(国立国語研究所) CD-ROM付きで、実際の方言による会話が聞くことができます。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
| 日本の方言(柴田武/岩波新書)
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| 日本の方言地図(徳川宗賢/中公新書)
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| 江戸語・東京語・標準語(水原明人/講談社現代新書)
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| 日本語(上・下)(金田一春彦/岩波新書)
日本語と外国語(鈴木孝夫/岩波新書) | (本文引用)...問題は、日本で出版されている英和辞典だ。いまでもほとんどが、orangeの見出しに対して、果物としてのオレンジ、蜜柑、橙(だいだい)などをあげ、形容詞としては、これもオレンジ色、蜜柑色、だいだい色といった説明にとどまっている。これでは日本人の学習者が、英語のorange色と日本語のオレンジ色の違いに気付かないのも無理はない...
日本語はおもしろい(柴田武/岩波新書) | (本文引用)...おそらく「共通語」のことに関心のあるすべての人が「トーキビ」ではなく、「トーモロコシ」が共通語だと考えていると思う。そこには、表に出ない基準が働いている。「トーモロコシ」は、東京という首都のことばだという基準である...
日本語の変遷(金田一京助/講談社学術文庫) | (本文引用)...言語というものは、時代から時代へ不断に変遷をする。従って、それを支配する法則、すなわち文法的事実もまた変化をするのである。さればこそ、記述文法の所説に我々の満足し得なかった理由がある。記述文法はただ記述するばかりで、しかも往々事実を枉げさえもするが、少しも説明を与えないから、実に、記述文法から一事を学ぶごとに『それはなぜだろう』という解け難い新疑問に逢着するばかりだったのである。
漢字と日本人(高島俊男/文春新書) | (本文引用)...戦後の国語改革――かなづかいの変更、字体の変更、漢字の制限――がもたらした最も重大な効果は、それ以後の日本人と、過去の日本人――その生活や文化や遺産――とのあいだの通路を切断したところにあった。…(中略)…かなり多くの国語審議会委員たちは、技術的なこと程度にしか考えていなかった――けれども、実際には、思いがけなかったほどの強い切断効果を生んだのであった…(中略)…事態がはっきりして、ことの重大性が多くの人にわかってきたのはおおむね昭和三十年代になってからだった。知識人たちはある程度まとまって、国語改革に反対し、撤回を要求しはじめた…(中略)…しかしすでにおそかった。政府が、十年も前にきめたことを撤回するはずがなかったし、何千万人という子どもがそれで教育され、育ちつつあった…(中略)…知識人たちの戦いは、涙がこぼれるほど悲惨なものだった。いかにその言うことが正しくても、論理的に文部省を打ち破っていても、日本の文化の継続にとって致命的であることを論証しても、何の効果もないのである...
翻訳語成立事情(柳父章/岩波新書) | (本文引用)...ところで、societyの翻訳語として、どうして「社会」だけが残ったのだろうか。古くからの日本語である「交際」や「世間」などは、societyとは意味がずれていたからだ、ということは一応考えられる。が、意味の共通部分も確かにあったのである。これに対して、「社会」は、ほとんどsocietyの翻訳のための新造語に等しい。古い漢語ではあるが、日本での用例はきわめて稀であった。…(中略)…このころつくられた翻訳語には、こういうおもに漢字二字でできた新造語が多い。とりわけ学問・思想の基本的な用語に多いのである。外来の新しい意味のことばに対して、こちらの側の伝来のことばをあてず、意味のずれを避けようとする意識があったのであろう。だが、このことから必然的に、意味の乏しいことばをつくり出してしまったのである。…(中略)…文脈の中に置かれたこういうことばは、他のことばとの具体的な脈絡が欠けていても、抽象的な脈絡のままで使用されるのである...
蝸牛考(柳田国男/岩波文庫) | (本文引用)...蝸牛は雨の降る前になると、角だか貝だかを鳴らしてカタカタという音をさせる。そうしてその形は錘(つむ)と似ているからカタツムリだというなどは、語原論と言おうよりも、むしろ落し話の方に近いと評してもよい。...
国語改革を批判する(丸太才一編著/中公文庫) | (本文引用)...話し言葉と書き言葉の文体を近づけ、日本語をできるだけひとつの言葉にしようとする、その理念は正しいとしても、しかし、それを実現する努力の手順は、まさに正反対でなければならないであらう。私たちは、話すやうに書くことを理想とするのではなく、むしろ、日常の会話のなかでもできるかぎり書くやうに話し、話し言葉で書き言葉を写すやうに努めなければならなかったのである。(山崎正和「『日本語改革』と私」より)
私の國語敎室(福田恆存/文春文庫) | (本文引用)...たしかに讀み書きは大切です、出來ないよりは出來たはうがいい。が、その結果として、それが出來るもののはうが、敎育のあるもののはうが、より文化的で、より敎養があるといふ考へ方をもつやうになるくらゐなら、私はむしろ讀み書きなど出來ないはうが氣がきいてゐると思ひます。封建時代の支配階級が文字を「權力のバリケード」にしたといふのなら、その文字を易しくすることよりもまへに、そんなものは「バリケード」にならぬといふ文化意識を國民に植ゑつけたはうがいいではありませんか。それぞれの生き方、人柄、性格、才能、さういふものを知識や讀み書きより重んじ信じることから、文化の深みといふものが生じるのです。...
日本語観察ノート(井上ひさし/中公文庫) | (本文引用)...ほかにも役所の文書の癖はありますが、とりあえず右の四つから、わが国の官僚の精神像を素描すると、次のようになります。 〈自分たちにはわからないということを隠すためにいっそうむずかしく表現して国民を煙に巻き、一方、わかり切ったことをわざわざむずかしく表現してみんなを面倒がらせ、それによって自分たちを堂堂として、おごそかで、いかめしい存在に見せたがる人たち〉 でも、これはお役人だけではなく、たとえば去年も世間を騒がせたインチキ宗教の教祖たちの性向でもありますね。...
日本語の美(ドナルド・キーン/中公文庫) | (本文引用)...明治中期あたりから日本は「神秘」な国だという評判が西洋ではやった。「日本人は何を考えているか分らない」というきまり文句があって、日本を知ろうとする努力はどうせ無駄だという常識になり、しまいに一種の気休めになった。(…中略…)しかし、最も困ったことには日本人も自分たちが神秘であると信じるようになったことである。(…中略…)日本人は自分たちが神秘で不可解だと信じるようになってから日本のことを説明する労力を惜しむことが多い。それと、海外でこんなに日本が誤解されているというマゾヒズムに似た喜びを味わうようになった。外国人が川端康成の文学を愛していると聞くと、一部の日本人はこの事実を嘆いて、「外国人はどうして花鳥風月を呼び起すような日本文学にしか興味を持っていないのか」と聞く。(…中略…)ところが、谷崎、川端、三島が現代の日本を代表していないとすれば、誰の作品を推薦するかと私の方から尋ねると、不明な返事しか返ってこない。要するに、「花鳥派」を否定する日本人も「本当の」日本の姿を伝える小説をなかなか挙げられない。 ...
日本語の論理(外山滋比古/中公文庫) | (本文引用)...外国語は母国語とまったく異なった次元において学習されるべしとするのが外国語論の前提である。この異なった次元という条件さえ満たされれば、もちろん、外国語が下手より上手がよいにきまっている。よりよく読めた方がよい、よりよく書けた方が望ましいのは言うまでもない。ただ、そういう外国語習得の努力が母国語と同じ次元において行なわれてはこまるのである。母国語の犠牲においてのみ身につくような外国語は、二重言語である。それはわれわれの精神を真に拡大することにならない。言語生活において、外国語と母国語の総和が普通人の母国語に等しいような、そういう外国語学習は悪い二重言語である。外国語がわれわれにとって言語的世界の純増になるには、母国語の世界を犯さないということが必要である。...
国語学原論(上)(下)(時枝誠記/岩波文庫) | (本文引用)...ソシュールが摘出した「言語(ラング)」は、決してそれ自身一体なるべき単位ではなく、又純心理的実体でもなく、やはり精神生理的継起的過程現象であるといわなければならない。言語表現に於いて、最も実体的に考えられる文字について見ても、それが言語と考えられる限り、それは単なる線の集合ではなく、音を喚起し、概念を喚起する継起的過程の一断面として考えられなければならない。若しこれを前後の過程より切離して考える時、それは既に言語的性質を失うことになる。かくの如く、言語に於いては、その如何なる部分をとって見ても、継起的過程でないものはない。継起的過程現象が即ち言語である。かかる対象の性質を無視した自然科学的構造分析は、従って対象の本質とは距ったものを造り上げることになる。ソシュールの「言語(ラング)」の概念は、かくの如き方法上の誤の上に建てられたものであった。...
国語学原論 続編(時枝誠記/岩波文庫) | (本文引用)...言語過程説においては、言語は人間の行為であり、従って、それは、また、当然、文化の一つである。文化の歴史は、自然史のように、樹幹図式によって把握されるべきものでなく、河川図式によって把握されなければならない。一本の川には、水源を異にした大小幾多の支流が流れ込んで、下流の大をなしている。そこには、種々様々な土質が流れ込んでいるに違いない。それらの構成分子を分析し、それらがどのように組合わされて、下流を成しているかを明かにすることが必要である。我々が知りたいのは、源流の奥の水源ではなくして、我々が、今、立っている下流についてである。すべての文化的記述は、下流の形成を明かにすることであって、そのために、上流への遡行も意義があるのである。言語史研究も、これと同じでなければならない。...
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| ■ことば関係のおすすめ書籍 △ | |||||||||||||||||||
| ことばと文化(鈴木孝夫/岩波新書) (本文引用)...私たちが異った文化に、しかも限られた範囲で接するときは、個々の文化要素を統括する全体の構造がつかめることは稀であり、多くの場合、自分が出会う一部、または特殊な実例を、一般的に拡大してしまう傾向があるということである。しかもこの一般化は、必ず自分の文化の構造に従って行われるということが問題なのである...
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| 日本人はなぜ英語ができないか(鈴木孝夫/岩波新書) (本文引用)....今度はフランスの子供たちが、たとえば『里見八犬伝』の物語を、フランス語で楽しむようなことがあっても、悪くないはずでしょう。どうして現状ではそうなっていないのかといえば、これまでのフランスについての日本人の勉強や研究が、フランスそのものを知り、日本にはない優れたものをあちらから取り入れるということだけに集中していて、お返しに日本の優れたもの、世界に誇るべき日本人の言語文化財を、フランス人にも楽しんでもらおうという、発想も余裕もなかったからです。..
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