| 一、 | 「過」の意味 |
| 二、 | どんな時に「過」を用いるか(Ⅰ) |
| 三、 | どんな時に「過」を用いるか(Ⅱ) |
| (一)「過」を事柄の原因、前提を説明する文に用いる | |
| (二)「過」を人、事物またはそれらの関係を説明する文に用いる | |
| 四、 | 「過」と「了」の用法の比較 |
| 五、 | 「過」と時間状語 |
| 六、 | 「過」を接続できる語 |
「過」はかつてある種の経験をした、かつてある動作を行った、またはある状態が存在したということを表わす。「過」を用いるのは、その動作がすでに行われなくなったか、その状態がすでに存在しなくなった時である。例えば、
「了」も、かつてある動作を行ったか、ある状態が存在したことを表わせるが、「了」を用いた時は、その動作または状態がすでに行われなくなった、存在しなくなったことが考えられると同時に、まだ行われている、まだ存在しているとも考えられる。
(1)と(2)の「了」は「過」に置き換えることができる。
(3)と(4)の「了」は「過」に置き換えることはできない。
どんな時、他者に自分または別の誰かのある経験(かつてある動作をおこなった、あるいはある状態が存在した)を知らせる必要があるのか。言い換えれば、どのような場合に「過」を用いるのか。例えば、どんな時に他者に「你去过上海吗?」と問うかは、「過」を用いた文を具体的な言語環境の中に置いて考察する必要がある。以下の会話を見てみる。
この会話から、「老王」が「老張」にたずねたいのは「上海に行ったことがあるか」ということではなく、「現在、上海に行くのにどんな服を着ればよいか」ということであることが分かる。しかし、「老張」がこの問いに答える条件=「上海に行ったことがあるか、上海の気候を知っているか」を持っているか分からないため、「去过上海吗」とたずねたのである。
別の面からいうと、「老張」が「行ったことがある」と答えた後、「老王」が黙ってしまえば、「老張」はおかしいなと感じ、「上海に行ったことがあるか聞いてどうするんだい」とたずねるだろう。なぜなら、「老張」は「老王」の問いはまだ終わっていないと思うからである。
上のような分析から、「過」を用いた短語(フレーズ)、分句(節)または文は、ニュアンスの上でみずから満足できるものではなく、話し手が伝えようとする最終的な情報を持っていないことが分かる。「過」を含む文と同時に、ニュアンスの上で直接関係のある、最終的な情報を持った文(フレーズ、節)が常に存在する。それは時に表に現れないが、聞き手はそのニュアンスを感じ取ることができる。例えば、
上の会話で、医者が「你吃过什么不干净的东西吗?」とたずねたのは、患者のおなかが痛い原因を探るためである。
乙が「我没看过」と言ったのは、甲に対して甲が満足できる回答ができないことを説明するためである。
お母さんの話は、「あなたは飛行機に乗ったことがないから、飛行機に乗ったときのことが分かるわけないでしょ。さっきのは全部ホラでしょ」という意味である。小明、小麗ともそのニュアンスを感じ取ることができる。
例えば、
(1)は「彼は字が読めないためにさまざまな苦労をした。そのため(今は)特に勉強が好きだ」。(2)は「あなたは学問があるから、あなたが子供に付ける名前は絶対に学問のない人が付ける名前よりいいはずだ」。(3)の「過」を含む分句(節)は「ほかの人が彼を“猴子(サル)”と呼ぶ理由」を説明している。(4)の「過」を含む文は「私があなたに切符を買ってあげない理由」を説明している。
例えば、
この種の文で「過」を含む部分(短語、分句など)が表わすのは人または事物の具体的な経歴であり、それと関連する部分(時にはない)は抽象的な性質、関係を表わしている。(1)は「当兵」「打仗」「受磨练」という具体的経歴を通して、「彼」の性格(=非常に勇敢で強靭)を説明している。(2)は「小张和小李从来没吵过架」という具体的な事実によって、2人の関係が良いことを説明している。(3)は「多少年没这么热」で、「今年の気候は異常だ」ということを説明している。(4)は「这所大学出过好几任总统」という具体的事実で、この大学は普通とは異なることを説明しているのである。
「了」は動作、状態の実現を表わし、「過」とは用法の上でやや異なる。「了」は原因、前提を説明する文中に用いることができる。例えば、
以上の2つの答えの中の「了」は、「過」に置き換えることができる。
ただ、「了」はさらに動作、状態の発生を客観的に叙述する文の中に用いることができる。この種の文で伝える最終的情報は、別のニュアンスに関わる文を必要としない。例えば、
これら文中の「了」は「過」に置き換えることはできない。
「過」は常に過去に発生した動作、状態によって、現在の事情、人物を説明し解釈する。「了」はある特定の時間に発生した事柄、動作を純粋に叙述し、別のある時間の人物や事柄には立ち入らない。このため、ある人がある時間にある動作を行ったことを客観的に叙述する場合、あるいはある人がある場所でどのような状態になったかを客観的に描写する場合は、「了」を用いるべきである。
「過」が用いられる時、前にある状語(連用修飾語)には、「以前、从前、过去」など、特定の時間を指さないものが多い。時間状語が出てこないこともしばしばある。発話以前のある時間を表わしているのである。例えば、
時に、「過」の前の状語はある特定の時間を表わす。
「過」の前の状語が特定の時間を表わす時の多くは、証明または反論に用いられている。例えば、
「了」を用いる文中に最もよく用いられる状語は、特定の時点を表わすものである。
「了」を含む文には、不特定の時点を表わす状語を用いてもよい。以下の3つの文型がよく用いられる。
「過」を付けることのできる語はとても幅広い。動詞、形容詞、動詞短語(フレーズ)いずれも可能である。例えば、
どのような語には「過」を付けることができないのか。
ある語が表わす動作または状態が、当事者には変更できないもの。このような語には「過」を接続することはできない。これには2種類ある。
このような動作を表わす語には「過」を付けることができない。例えば、人は一度しか出生できない。よって「这个孩子出生过」とは言えない。「开幕」「闭幕」は一度の会議に対し、「毕业」は一人のある段階の学習に対し、いずれも一度だけしかあり得ないので、これらにも「過」は使えない。「死」は一人の人にとって一度だけのものであるが、ではどうして「他死过三次」と言えるのか。これは、ここでいう「死」が医学上の本当の死を指すわけではないからである。さらに「他死过三个孩子」という文では、「死んだ」のは子供で、「彼」ではないためである。子供は複数いる場合もあり、「死」も複数回あり得る。すなわち、当事者は一人ではないのである。
「认识」「知道」「懂」「明白」などである。
否定文では、A.B.とも「過」を結合できる。